自作小説「水の車輪」の原稿置き場です。 ※未熟ではありますが著作権を放棄しておりません。著作権に関わる行為は固くお断り致します。どうぞよろしくお願い致します。
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六、
蔦の絡んだ石壁の穴を潜り抜ける。途中でレミオがまた躓いて、エンデの背中に顔をしたたかにぶつけた。
「いたぁい・・・」
鼻を抑える。それは痛いだろう、とエンデも思う。せっかく可愛らしい顔をしているのに、しょっちゅうレミオは鼻や顎をどこかにぶつけている。たまに、この子の鼻が折れたらどうしよう、と心配になる、顔面骨折でもしたら大変だ。エンデはその鼻を撫でてやった。そしてうなずくと、もう一度気を取り直して進む。レミオは鼻をすんすんと鳴らしていた。ぐすっ、とまるで泣いているかのような音だ。
二人はようやく広い所に出た。空を仰ぐ。邸の三階に、小さな窓が一つある。裏口の窓だ。
「キオー」
エンデはものすごく小さな声で窓に向かって呼ぶ。さすがにレミオは肩をすくめた。たまにエンデもぼけている。
「さすがにその声じゃ聞こえないわよ?」
「そうね。じゃ、レミオ、あとはよろしく」
「はぁい」
レミオはふわり、と風に舞った。スカートが花の形にふわりと広がる。とても可愛いとエンデも思った。レミオは服にも割とこだわりがある。
ぱたぱた、と、泳ぐ時のようにつま先までぴんと伸ばして足を小さくばたつかせながら、レミオは上へと昇っていく。とても綺麗だ。妖精みたいだ。いいなあ、とエンデは思う。レミオのふわりとした髪も、華奢ですらりとしたまるで踊り子のような容姿も、とても羨ましかった。彼女には風がよく似合う。神様は本当に、与えるものを間違わない。
エンデは自分のごわごわとした髪に触れた。エンデの髪質はとても固かった。レミオのように、風でふわり、と可愛らしくなびくこともない。癖がつくと治りにくくて、寝ぐせや鳥の巣状に絡まった髪の毛がそのままどんなに櫛ですかしてもなかなか綺麗にならなかった。けれどレミオは真っすぐなエンデの髪が綺麗でうらやましいという。不思議だった。ふと、同じことをザゼリに言われたことを思い出す。髪に触れた手。触れる時頬を撫でた小さな風。急に顔がほかほかと温まっていた。手櫛で髪を縛ってもらったことまで思い出す。自分の髪を縛るシュシュを外して、ザゼリは寝ぐせの酷かったエンデの髪を綺麗に縛ってくれた。可愛いと言ってくれる。けれどエンデは、ザゼリの方がずっと可愛いと思った。髪を下ろしたザゼリに、どきりとした。
「キオー、そろそろ行こー?」
のろのろとしたしまりのない声が耳に届く。キオは椅子を回転させた。レミオが窓の向こう側で、頬杖をついてこちらを見ている。普通の人間がこんなのを見たらぎょっとするだろうな、とキオは思った。嘆息する。
「お前さ、目立つから、とりあえず中入れ」
「はーい」
レミオは大人しく淵に足をかけ、部屋の中に飛び降りた。さすが風に愛された娘だ。全てのしぐさがふわりとしていて、まるで妖精のようだ。
「俺さ、まだ勉強終わってないんだけど」
「キオにしては珍しいわね?」
「阿呆。これは5日後の講義の予習だ。お前と一緒にすんな」
レミオはしゅん、とした。レミオはあまり勉強は得意ではない。けれど、別にそれでもいいだろ、とキオは思う。どうせ自分の妻になる女だ。とりあえず生きていればいい。勉強ができようができなかろうが、少々どころかかなりみっともないボケをかます女だろうが、自分がきちんとするつもりだから万事大丈夫だろうと思う。
「いいじゃない、明日すれば・・・お祭りは今日しかないのよ?エンデだって楽しみにしてるのに」
エンデ、という単語にキオは思わずぴくり、と反応した。
「エンデに花火見せてあげるんでしょ?いつものことでしょ?」
レミオは柔らかく笑っていた。そしてとても静かな穏やかな声だ。こいつ、こんなに大人びてただろうか、とふとキオは考える。たまにレミオは、まるで包み込むような空気を滲ませる。まるで母親とか姉と接しているような感覚になる。実際の母も姉も、キオに対して温かいわけではないけれど。
「まだ明るいじゃん」
キオはとりあえず、机に向かった。けれど、どうしてだろう。なぜか筆が進まない。なんとなく居心地が悪い。キオは嘆息した。視線がうっとうしい。どうせレミオがごねているのだろう。
「いいよ、わかったよ。行けばいいんだろ?」
「もちろん!お祭りは明るいうちから楽しむものよ!」
レミオの声が明るくなる。
いつもどおりだ、問題ない。キオは少しだけほっとした。レミオにいつも通りの緩い笑顔が戻っている。よほど祭りが好きなんだなあと今更感心する。正直、いつもの遊びの延長のような気がして、キオ自身は花火以外祭りには興味がない。女と言うのは不可解だな、と思った。エンデも楽しみにしているんだろうか。彼女はあまり表情に出さないから分かりにくい。嬉しそうに意味もなくくるくると回るレミオを見ながら少々呆れた。本当にレミオの行動は不可解だ。スカートが花のようにふわふわと広がって揺れている。洒落てきたな、とキオは思った。庶民の服としてはよそいき着だと思う。淡い水色のスカートに淡い赤のライン。レミオの桃色の髪によく似合っていた。一人でにやにやしながら口元を両手で覆っている。そわそわと落ち着きやしない。もう一度キオは嘆息してノートを閉じた。たまには焼き菓子でもおごってやろうかな、とふと思った。エンデは何をしたら喜ぶだろう。とりあえず、ザゼリを引きずってでも連れて行こうと思った。そこでふと気がつく。どうせあいつはぼろぼろの汗臭い服しか持っていない。キオはこめかみに手を当てた。先に風呂に入れよう。いくらなんでも祭りの人だかりであの恰好は浮くに決まっている。
キオが着替え終わって窓枠に足をかけると、なぜかレミオに服を引っ張られた。とても小さな力だ。それでもなんとなくキオは振り返る。
「何」
レミオは一度口を開けて、また閉じた。毎年この一連の動作を見ているような気がする。とりあえず一応いつも待ってはやるのだ。けれどレミオはもじもじするばかりなので、いつもだんだん苛ついてくる。結局今も、キオはレミオに何かおごってやるのをやめようかという気持ちになって来た。
けれどレミオは服を握った手に力を入れてもう一度顔をあげた。精いっぱいの笑顔を浮かべる。それがキオにすら分かった。まったくもって不可解極まりない。
「あのね」
「んだよ。だから早く言えっつってんだよ」
「あの、たまにはわたしに抱っこされてみない?」
「は?」
しばらく言われた意味が分からなかった。時計の針が何度か音を立てる。
「は?」
もう一度声を出してしまった。レミオは吹っ切れたのか、今度は自然な笑顔でにこにことして言う。
「一度やってみたかったの。ね、キオ、抱っこさせて!」
「はぁ?逆だろ普通」
「逆ぅ~?」
レミオが気持ち悪い声を出す。キオは顔をしかめた。
「ええ~?じゃあやってくれるの?キオ」
「誰がやるか、気色悪ぃ」
「うん、わかってる」
レミオはほほ笑んだ。
「風に舞うってとっても気持ちがいいのよ、キオも体験しようよ、たまには」
「なんで」
「なんでも!」
「そうじゃない。なんで、今。てか今更。いきなり何」
レミオは黙り込んだ。えへへ、と力なく笑いながら頬を掻く。
けれど目はとても真剣だった。意味が分からない、と思った。
「くだんね」
キオは首を振って、ためらいなく窓から飛び降りた。
こういう時どうしたらいいのか分からない。とりあえず考えるのをやめた。夕焼けが目に染みる。昼の太陽よりも日差しは結構強いものなんだな、と思った。一応待ってやったのだ。聞いてやったのだ。進歩だ。精いっぱいだ。
来年以降また考えてやってもいい、とキオはぼんやり考えていた。自分がいっぱいいっぱいだったことに、蔦に包まれながらようやく気付く。心臓が痛いくらいに拍動していた。いつから痛みに鈍感になったのだろう。キオは舌打ちした。レミオのせいだ。レミオのボケが自分にも移ってしまったじゃないか。
ふわり、とキオは着地する。少し焦っていたのかもしれない。伸びた蔦を焼き焦がすのを早まった。少し体が傾く。その肩を下で待機していたエンデがとっさに支えた。なんとか体勢を立て直す。
「わり」
「いいえ」
エンデはにこりともせずに言った。キオは上を見上げた。
レミオはまだ降りてこない。
「おい!早くしろよって」
キオが怒鳴ると、ようやくレミオの頭が小さく見えた。またふにゃりと笑っている。
窓枠に立つ。頭をぶつけた。キオは嘆息した。本当にいつも通りでどうしようもない。
レミオはへらへらと笑いながら降りてきた。スカートが広がっている。キオは反射的に目をそらした。フリルだらけのペチコートで、別に何かが見えるわけでもなかったのだけれど。
レミオが降りてくると、ようやくエンデは少しだけ笑った。やっぱり女の子なんだなあ、とキオは少し感心する。自分もレミオではなくザゼリでなければ満たされない楽しさがあるように、きっとエンデもそうなのだろうと思った。レミオももう少しエンデに目を向ければいいのに、と思う。二人はもちろん仲がいい。自分とよりも一緒にいる時間だっておそらくは長いだろう。けれどなんとなく、うまく言葉では言い表せないが、レミオは無理して自分に甘えようとしているような気が最近してきていた。なぜかは分からない。ただそう思ってしまっただけだ。
(なんだ?)
ふと、違和感を感じる。
「さ、行きましょエンデ。こんな早くからお祭りに行けるとか初めてだわ!!すっごく楽しみ」
「わたしも少し」
「ふふ」
エンデがレミオの手を握り、それをレミオが握り返す。仲良く腕を振って前を歩く。その後をキオはついていく。
キオはものすごく考え込んでいた。何かが分からない。何かが変わった気がする。いつもと違う気がする。
ようやくそれに気がついたのは、二人のおしゃべりを聞きながらザゼリのいる港に着いた頃だった。
「おー、なんだぁ?えらくめかしてんなぁ」
ザゼリはにっこり笑いながら二人を見た。
「そう、可愛いでしょ?」
レミオはくるん、と一回転する。ザゼリはうなずいた。
「おぅ、可愛い可愛い。これ手作り?」
「似たようなものよ」
レミオはにこにこと笑っている。
ザゼリは首を小さくかしげた。
「エンデも、やっぱりすこしめかしてんな、いつもと似てるけど、服」
エンデが苦笑する。まったくもって気の利いた言葉の言えない男だ。キオは嘆息した。ようやく追いつくと、ザゼリがものすごく笑顔になった。
「おお!キオも来てたか!こんな時間からいるって珍しいな、めんどくさがりのくせに」
「うっせえ」
エンデも少しだけ振り返って苦笑した。ザゼリはキオの頭をくしゃくしゃにする。
「ちょっと、やめろよ。一応櫛でとかしたんだから」
「おれの手櫛で直してやるから問題ねぇ」
「いや問題大ありだよ阿呆」
なぜかエンデがそわそわしている。キオは首をかしげた。そうしてふと、ようやく、気づいた。
レミオがこっちを見ない。
一度も見ない。
話しかけもしない。
話にすら入ってこなかった。
キオにはレミオの背中しか見えない。どんな表情なのかもわからない。
分かるのは、背中に表情なんかないということだけだった。まるでレミオは本当に空気のように、そこに溶け込んでいた。
(なんだよ)
キオは少しだけむっとして、やめた。
よく考えたらどうでもいいことだった。どうせ少し拗ねているのだろう。こういう反抗の仕方は少し珍しいけれど、今までもなかったわけじゃない。放っておこうと思った。
「ねえザゼリ」
「ん?」
レミオに服の裾をひかれ、ザゼリは立ち止まった。キオとエンデは露店を覗きこんで何事か話している。
「わたしね、人を、探してるの。だから」
「ん、ん?」
ザゼリはきょとんとした。レミオはこくり、と少しだけ唾を飲み込んだ。
「ちょっとはぐれるけど、また追いかけるから、心配しないでね。って伝えてね」
服を掴む手が震えていた。震えないように力を込める。けれど腕が痛い。
ザゼリはいつもの穏やかなきょとんとした眼でレミオを見つめていた。そうして、優しく笑って、レミオの頭を撫でた。
とても温かな手だ。大きな手だ。三年後、自分の手も、これくらい大きくなれるだろうか。二人の手も、骨も、こういう風に大きくなるのだろうか、とレミオは唇をかみしめて思った。ふと、いつの間に唇をかむなんて癖ができていたのだろうと思う。きっとキオのせいだ。キオがいつも考え事をしている時唇を噛むから。ザゼリは何も言わなかった。それがありがたい。ザゼリは何も言わないでくれる。聞かないでくれる。だから好きだった。だからきっと、エンデもキオもザゼリが好きなのだろうと思う。レミオはくるりと背を向けて、人込みの中へ消えた。とにかく離れられればなんでもよかった。家に帰ろうと思った。でも帰りたくない気持ちもあった。
せっかく来たのに。せっかく来たのに。
花火、やっぱり見たくない。
わたしの場所はきっと、ザゼリが埋めてくれる。だからきっと、今少しわたしが抜けたところで大丈夫。
せっかく来たけど。
レミオは唇を噛んだ。人とぶつかる。その反動で、思い切り下唇に傷ができた。痛い。血の味がする。立ち止まると、別の大きな背中が肩にぶつかって体が揺れた。レミオは服の裾を持ち上げて、広げて見た。
こんなもの意味がない。どうして女の子は可愛い恰好をしたくなるのだろう。
可愛くなって何か意味があるだろうか。
可愛いってどういうことだろう。レミオはふとザゼリの笑顔を思い出した。
可愛いってきっと、ああいう人のことだ、と思った。
だとしたら自分には可愛くなんてなる意味がない。なる価値もない。
第一章 終
蔦の絡んだ石壁の穴を潜り抜ける。途中でレミオがまた躓いて、エンデの背中に顔をしたたかにぶつけた。
「いたぁい・・・」
鼻を抑える。それは痛いだろう、とエンデも思う。せっかく可愛らしい顔をしているのに、しょっちゅうレミオは鼻や顎をどこかにぶつけている。たまに、この子の鼻が折れたらどうしよう、と心配になる、顔面骨折でもしたら大変だ。エンデはその鼻を撫でてやった。そしてうなずくと、もう一度気を取り直して進む。レミオは鼻をすんすんと鳴らしていた。ぐすっ、とまるで泣いているかのような音だ。
二人はようやく広い所に出た。空を仰ぐ。邸の三階に、小さな窓が一つある。裏口の窓だ。
「キオー」
エンデはものすごく小さな声で窓に向かって呼ぶ。さすがにレミオは肩をすくめた。たまにエンデもぼけている。
「さすがにその声じゃ聞こえないわよ?」
「そうね。じゃ、レミオ、あとはよろしく」
「はぁい」
レミオはふわり、と風に舞った。スカートが花の形にふわりと広がる。とても可愛いとエンデも思った。レミオは服にも割とこだわりがある。
ぱたぱた、と、泳ぐ時のようにつま先までぴんと伸ばして足を小さくばたつかせながら、レミオは上へと昇っていく。とても綺麗だ。妖精みたいだ。いいなあ、とエンデは思う。レミオのふわりとした髪も、華奢ですらりとしたまるで踊り子のような容姿も、とても羨ましかった。彼女には風がよく似合う。神様は本当に、与えるものを間違わない。
エンデは自分のごわごわとした髪に触れた。エンデの髪質はとても固かった。レミオのように、風でふわり、と可愛らしくなびくこともない。癖がつくと治りにくくて、寝ぐせや鳥の巣状に絡まった髪の毛がそのままどんなに櫛ですかしてもなかなか綺麗にならなかった。けれどレミオは真っすぐなエンデの髪が綺麗でうらやましいという。不思議だった。ふと、同じことをザゼリに言われたことを思い出す。髪に触れた手。触れる時頬を撫でた小さな風。急に顔がほかほかと温まっていた。手櫛で髪を縛ってもらったことまで思い出す。自分の髪を縛るシュシュを外して、ザゼリは寝ぐせの酷かったエンデの髪を綺麗に縛ってくれた。可愛いと言ってくれる。けれどエンデは、ザゼリの方がずっと可愛いと思った。髪を下ろしたザゼリに、どきりとした。
「キオー、そろそろ行こー?」
のろのろとしたしまりのない声が耳に届く。キオは椅子を回転させた。レミオが窓の向こう側で、頬杖をついてこちらを見ている。普通の人間がこんなのを見たらぎょっとするだろうな、とキオは思った。嘆息する。
「お前さ、目立つから、とりあえず中入れ」
「はーい」
レミオは大人しく淵に足をかけ、部屋の中に飛び降りた。さすが風に愛された娘だ。全てのしぐさがふわりとしていて、まるで妖精のようだ。
「俺さ、まだ勉強終わってないんだけど」
「キオにしては珍しいわね?」
「阿呆。これは5日後の講義の予習だ。お前と一緒にすんな」
レミオはしゅん、とした。レミオはあまり勉強は得意ではない。けれど、別にそれでもいいだろ、とキオは思う。どうせ自分の妻になる女だ。とりあえず生きていればいい。勉強ができようができなかろうが、少々どころかかなりみっともないボケをかます女だろうが、自分がきちんとするつもりだから万事大丈夫だろうと思う。
「いいじゃない、明日すれば・・・お祭りは今日しかないのよ?エンデだって楽しみにしてるのに」
エンデ、という単語にキオは思わずぴくり、と反応した。
「エンデに花火見せてあげるんでしょ?いつものことでしょ?」
レミオは柔らかく笑っていた。そしてとても静かな穏やかな声だ。こいつ、こんなに大人びてただろうか、とふとキオは考える。たまにレミオは、まるで包み込むような空気を滲ませる。まるで母親とか姉と接しているような感覚になる。実際の母も姉も、キオに対して温かいわけではないけれど。
「まだ明るいじゃん」
キオはとりあえず、机に向かった。けれど、どうしてだろう。なぜか筆が進まない。なんとなく居心地が悪い。キオは嘆息した。視線がうっとうしい。どうせレミオがごねているのだろう。
「いいよ、わかったよ。行けばいいんだろ?」
「もちろん!お祭りは明るいうちから楽しむものよ!」
レミオの声が明るくなる。
いつもどおりだ、問題ない。キオは少しだけほっとした。レミオにいつも通りの緩い笑顔が戻っている。よほど祭りが好きなんだなあと今更感心する。正直、いつもの遊びの延長のような気がして、キオ自身は花火以外祭りには興味がない。女と言うのは不可解だな、と思った。エンデも楽しみにしているんだろうか。彼女はあまり表情に出さないから分かりにくい。嬉しそうに意味もなくくるくると回るレミオを見ながら少々呆れた。本当にレミオの行動は不可解だ。スカートが花のようにふわふわと広がって揺れている。洒落てきたな、とキオは思った。庶民の服としてはよそいき着だと思う。淡い水色のスカートに淡い赤のライン。レミオの桃色の髪によく似合っていた。一人でにやにやしながら口元を両手で覆っている。そわそわと落ち着きやしない。もう一度キオは嘆息してノートを閉じた。たまには焼き菓子でもおごってやろうかな、とふと思った。エンデは何をしたら喜ぶだろう。とりあえず、ザゼリを引きずってでも連れて行こうと思った。そこでふと気がつく。どうせあいつはぼろぼろの汗臭い服しか持っていない。キオはこめかみに手を当てた。先に風呂に入れよう。いくらなんでも祭りの人だかりであの恰好は浮くに決まっている。
キオが着替え終わって窓枠に足をかけると、なぜかレミオに服を引っ張られた。とても小さな力だ。それでもなんとなくキオは振り返る。
「何」
レミオは一度口を開けて、また閉じた。毎年この一連の動作を見ているような気がする。とりあえず一応いつも待ってはやるのだ。けれどレミオはもじもじするばかりなので、いつもだんだん苛ついてくる。結局今も、キオはレミオに何かおごってやるのをやめようかという気持ちになって来た。
けれどレミオは服を握った手に力を入れてもう一度顔をあげた。精いっぱいの笑顔を浮かべる。それがキオにすら分かった。まったくもって不可解極まりない。
「あのね」
「んだよ。だから早く言えっつってんだよ」
「あの、たまにはわたしに抱っこされてみない?」
「は?」
しばらく言われた意味が分からなかった。時計の針が何度か音を立てる。
「は?」
もう一度声を出してしまった。レミオは吹っ切れたのか、今度は自然な笑顔でにこにことして言う。
「一度やってみたかったの。ね、キオ、抱っこさせて!」
「はぁ?逆だろ普通」
「逆ぅ~?」
レミオが気持ち悪い声を出す。キオは顔をしかめた。
「ええ~?じゃあやってくれるの?キオ」
「誰がやるか、気色悪ぃ」
「うん、わかってる」
レミオはほほ笑んだ。
「風に舞うってとっても気持ちがいいのよ、キオも体験しようよ、たまには」
「なんで」
「なんでも!」
「そうじゃない。なんで、今。てか今更。いきなり何」
レミオは黙り込んだ。えへへ、と力なく笑いながら頬を掻く。
けれど目はとても真剣だった。意味が分からない、と思った。
「くだんね」
キオは首を振って、ためらいなく窓から飛び降りた。
こういう時どうしたらいいのか分からない。とりあえず考えるのをやめた。夕焼けが目に染みる。昼の太陽よりも日差しは結構強いものなんだな、と思った。一応待ってやったのだ。聞いてやったのだ。進歩だ。精いっぱいだ。
来年以降また考えてやってもいい、とキオはぼんやり考えていた。自分がいっぱいいっぱいだったことに、蔦に包まれながらようやく気付く。心臓が痛いくらいに拍動していた。いつから痛みに鈍感になったのだろう。キオは舌打ちした。レミオのせいだ。レミオのボケが自分にも移ってしまったじゃないか。
ふわり、とキオは着地する。少し焦っていたのかもしれない。伸びた蔦を焼き焦がすのを早まった。少し体が傾く。その肩を下で待機していたエンデがとっさに支えた。なんとか体勢を立て直す。
「わり」
「いいえ」
エンデはにこりともせずに言った。キオは上を見上げた。
レミオはまだ降りてこない。
「おい!早くしろよって」
キオが怒鳴ると、ようやくレミオの頭が小さく見えた。またふにゃりと笑っている。
窓枠に立つ。頭をぶつけた。キオは嘆息した。本当にいつも通りでどうしようもない。
レミオはへらへらと笑いながら降りてきた。スカートが広がっている。キオは反射的に目をそらした。フリルだらけのペチコートで、別に何かが見えるわけでもなかったのだけれど。
レミオが降りてくると、ようやくエンデは少しだけ笑った。やっぱり女の子なんだなあ、とキオは少し感心する。自分もレミオではなくザゼリでなければ満たされない楽しさがあるように、きっとエンデもそうなのだろうと思った。レミオももう少しエンデに目を向ければいいのに、と思う。二人はもちろん仲がいい。自分とよりも一緒にいる時間だっておそらくは長いだろう。けれどなんとなく、うまく言葉では言い表せないが、レミオは無理して自分に甘えようとしているような気が最近してきていた。なぜかは分からない。ただそう思ってしまっただけだ。
(なんだ?)
ふと、違和感を感じる。
「さ、行きましょエンデ。こんな早くからお祭りに行けるとか初めてだわ!!すっごく楽しみ」
「わたしも少し」
「ふふ」
エンデがレミオの手を握り、それをレミオが握り返す。仲良く腕を振って前を歩く。その後をキオはついていく。
キオはものすごく考え込んでいた。何かが分からない。何かが変わった気がする。いつもと違う気がする。
ようやくそれに気がついたのは、二人のおしゃべりを聞きながらザゼリのいる港に着いた頃だった。
「おー、なんだぁ?えらくめかしてんなぁ」
ザゼリはにっこり笑いながら二人を見た。
「そう、可愛いでしょ?」
レミオはくるん、と一回転する。ザゼリはうなずいた。
「おぅ、可愛い可愛い。これ手作り?」
「似たようなものよ」
レミオはにこにこと笑っている。
ザゼリは首を小さくかしげた。
「エンデも、やっぱりすこしめかしてんな、いつもと似てるけど、服」
エンデが苦笑する。まったくもって気の利いた言葉の言えない男だ。キオは嘆息した。ようやく追いつくと、ザゼリがものすごく笑顔になった。
「おお!キオも来てたか!こんな時間からいるって珍しいな、めんどくさがりのくせに」
「うっせえ」
エンデも少しだけ振り返って苦笑した。ザゼリはキオの頭をくしゃくしゃにする。
「ちょっと、やめろよ。一応櫛でとかしたんだから」
「おれの手櫛で直してやるから問題ねぇ」
「いや問題大ありだよ阿呆」
なぜかエンデがそわそわしている。キオは首をかしげた。そうしてふと、ようやく、気づいた。
レミオがこっちを見ない。
一度も見ない。
話しかけもしない。
話にすら入ってこなかった。
キオにはレミオの背中しか見えない。どんな表情なのかもわからない。
分かるのは、背中に表情なんかないということだけだった。まるでレミオは本当に空気のように、そこに溶け込んでいた。
(なんだよ)
キオは少しだけむっとして、やめた。
よく考えたらどうでもいいことだった。どうせ少し拗ねているのだろう。こういう反抗の仕方は少し珍しいけれど、今までもなかったわけじゃない。放っておこうと思った。
「ねえザゼリ」
「ん?」
レミオに服の裾をひかれ、ザゼリは立ち止まった。キオとエンデは露店を覗きこんで何事か話している。
「わたしね、人を、探してるの。だから」
「ん、ん?」
ザゼリはきょとんとした。レミオはこくり、と少しだけ唾を飲み込んだ。
「ちょっとはぐれるけど、また追いかけるから、心配しないでね。って伝えてね」
服を掴む手が震えていた。震えないように力を込める。けれど腕が痛い。
ザゼリはいつもの穏やかなきょとんとした眼でレミオを見つめていた。そうして、優しく笑って、レミオの頭を撫でた。
とても温かな手だ。大きな手だ。三年後、自分の手も、これくらい大きくなれるだろうか。二人の手も、骨も、こういう風に大きくなるのだろうか、とレミオは唇をかみしめて思った。ふと、いつの間に唇をかむなんて癖ができていたのだろうと思う。きっとキオのせいだ。キオがいつも考え事をしている時唇を噛むから。ザゼリは何も言わなかった。それがありがたい。ザゼリは何も言わないでくれる。聞かないでくれる。だから好きだった。だからきっと、エンデもキオもザゼリが好きなのだろうと思う。レミオはくるりと背を向けて、人込みの中へ消えた。とにかく離れられればなんでもよかった。家に帰ろうと思った。でも帰りたくない気持ちもあった。
せっかく来たのに。せっかく来たのに。
花火、やっぱり見たくない。
わたしの場所はきっと、ザゼリが埋めてくれる。だからきっと、今少しわたしが抜けたところで大丈夫。
せっかく来たけど。
レミオは唇を噛んだ。人とぶつかる。その反動で、思い切り下唇に傷ができた。痛い。血の味がする。立ち止まると、別の大きな背中が肩にぶつかって体が揺れた。レミオは服の裾を持ち上げて、広げて見た。
こんなもの意味がない。どうして女の子は可愛い恰好をしたくなるのだろう。
可愛くなって何か意味があるだろうか。
可愛いってどういうことだろう。レミオはふとザゼリの笑顔を思い出した。
可愛いってきっと、ああいう人のことだ、と思った。
だとしたら自分には可愛くなんてなる意味がない。なる価値もない。
第一章 終
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